少しずつ前に 2016-05-10
こんにちは、火曜日担当、マーケティング事業部のグッチーこと原口です。
札幌もようやく春が訪れ(そうは言っても夜は冷えますが・・・・笑)
長い、長い連休も明けまた日常が皆様にも戻ってくるんじゃないでしょうか??
仕事に学校に子供の世話に、友達や仲間との当たり前にある当たり前の生活が始まると思います。
が、日本にはまだまだ日常を5年経った今でも取り戻せず苦悩してる方々がいて、
お話をし聞かせてもらうことが出来ましたので、良かったら読んでみてください。
私、学生時代を宮城県仙台市にある大学で過ごしたので、
青春真っ只中を札幌ではなく仙台で過ごしていました。
前半の学生時代から就職と10年以上を仙台に住んでいたんですね。
そして、5年前に東日本大震災を直に経験しました。
百万人都市の街の明かりがまったくない、そんな事が数日続き、
ドライブした海近くの国道や、仕事で尋ねた街、
全てが1日で何もかもが変わる光景は今でも鮮明に覚えています。
あれから5年経ち、今回の連休を利用して私用でしたが、半年振りに仙台を訪れました。
半年に1度は来ていますが、改めて、時間をかけて色々振り返る事が今回は出来たので、
今まで気がつかなかったような事も、目に止まったり、感じたりしたのですが・・・・
確かに中心部は震災バブルと言われたように当時以上のパワーが街全体に溢れていまして、
成長を続け「復興」という字が当てはまる、そんな印象に変わっていました。
そんな中、大学時代からの友人にフォトグラファーをやってる者がいて、
お酒を飲みながら地元地域の現実を聞いてみて自分の考えや世間との温度差を痛感し、
友人から「明日1日、一緒に現場に行ってみるかい?」と声をかけられたので、
宮城県石巻市と福島県福島市に住む学生時代の同期に会いに行くことに。
1人はサラリーマンでもう1人は福島で農業を営んでいます。
こちらは数年振りの再会。大学時代、勉強、部活と苦楽を共にし、
良い事も悪い事もしてきた仲間との会話は楽しいの一言に尽きました。
当然、話しは「震災時、何をしていたか?」「震災後、どうしていたか?」になります。
これ、不思議なもので、東北、特に、岩手県、宮城県、福島県に住む人達は必ずなります。
「触れないようにしよう」「過去の話し。」とは中々なりません。
津波による被害を受けた地域特にですね。
それだけ、人の心や頭に鮮明に焼き付いているという事なのでしょうね。
友人に写真を、何枚かお借りできました。
まず、石巻の震災後から今の様子です。
海には少しずつですが。元の綺麗な緑と青が戻ってきました。
そして、こちらは福島の友人夫婦の写真です。
土地や畑も緑が戻り笑顔で仕事に励む姿を見れて微笑ましい姿が印象的です。
そんな道中、強烈なインパクトがある物を友人が見せてくれました。それがこれです。
現地を写真に収めていく中で彼の友人が作ったようなのですが。
たくさんの人がそれぞれに立ち上がったり、前を向いたり。
色んな形で進んでいく中、突然大切な家族、恋人、友人、仲間
それらを1日で無くしてしまった人達はどこに愛情を向けてるのか。
自分の胸の中に閉まっておく事しか出来なく、
今でも自問自答の日々を繰り返しているんだろうなと大変考えさせられるポスターでした。
また福島の友人は、
「国の基準をクリアして、いい土と水で大切に育ててているのに福島の野菜というだけで食べてもらえない」
呟いていました。風評被害というやつです。
私もイチゴと野菜を食べさせてもらいましたが、
何をそんなに不安がるのかわからないくらい美味しく、本当に風評被害なんて存在するのか?
と思うくらいの味わいだったのですが、これが現実なのでしょう。
5年経った今でもあるという現実。
最近では熊本の方々が不憫な生活を送られていていますが、
5年経った東北でも、まだまだ、街中に仮設の集合住宅が広がっています。
きっと、熊本もこれからが大変になるでしょう。
その時の為に何か出来ることがあるのであれば力になりたいなと感じ、現地を後にしました。
「当時の様に」とは中々ならなくても、少しずつ、確かに進んで行く様子と、
大きくは進めないもどかしさの中で生活されてる人達を見ると頭が下がる思いです。
時間がかかる事では当然ありますが、皆様も小さな事、何か1つ、
被災地の方の為になれるような事があればアクションを起こして頂けると地元の方々にも、
きっと伝わり、力になれると思います。
掲載日:2016年05月10日